金管箱推シノススメ

一発オケ系金管箱推し奏者「海神」です。楽器のことや編曲のこと等つらつらと。

ご報告

私こと海神は2018年3月末日付で、キャリアチェンジから2年10ヶ月お世話になった某語学スクールを退職しました。Twitterの方では何度となく諸々垂れ流しておりましたが、改めて正式報告ということで。今日に至るまでの諸々をまとめてみましたので、興味のある方だけどうぞご覧下さい。

 

私の経歴~前職からキャリアチェンジまで~

 修士課程修了後、デイケア福祉施設でカウンセリングとかケースワークとかの仕事をしてきました。名前に心が付く感じの某専門職でしたが、下記の理由から専門職としての伸び代に限界を感じキャリアチェンジをしました。

 まず、支援計画が立てられない。当座の対応や利用者さんとの関係形成こそやれますが、長期的に見て最良の状態をイメージできず、場当たり的な対応に終始してしまった所がありました。次に、目の前に与えられた情報だけに注目してしまい、それ以外の可能性に気付いたり疑問を持ったりできない。例えば面接でも、利用者さんが口に出して言った言葉aに対して質問a’は返せるのですが、その他に別アングルからの質問bやcを投げ掛けることはできないといった具合。話は広がっていかないし本来必要な情報は取れないしで、自身のことながらこの特性では苦労しました。対人支援職としての能力に欠けることは周知の事実だったのですが、それでもなお、そのことが悟られるのを恐れて報連相が遅れることも多かったから手に負えない。

 今思えば、元々が勉強嫌いな時点で「一生勉強」で資格も更新制の対人支援業界で仕事が長続きする訳も無く(勉強嫌いが何で修士まで出ているんだって話ですが、実家との関係でアレソレあり勉強がサバイブの手段だった、とだけ言っておきます)。前職は事実上の戦力外通告を受けて逃げるように退職したのですが、それで正解だったのかも知れません。資格も「失効」となるのは後味が悪いので、近々「返納」するつもりです。そんなこんなで新しく事務職としての仕事を探し、当時のスクール長ことボスに拾って貰い現職に至ります。

 

現職でのお仕事

 事務員として、スクール内の運営を担う部署での採用でした。語学とありますが、昨今偽装や出稼ぎといった良くはない形で話題になっているあの分野です。名簿や成績の管理、納入金の請求、課外活動等イベント運営、カリキュラムの策定…まぁよろず請負のようなものでしたね。全部で10人ちょっとの現場というのもあり、2年目に入った位の段階でイベントのリーダーや各種不合理な制度の改善、業務手順書の作成、グループ全体での事業計画プロジェクトへの最年少での参画等、色々と主要ポジションとしての動きをさせて貰いました。当時の上司はじめ、現場のチームや教員の方々には恵まれたなと思います。事務としてのノウハウだけではなく、組織で働く上での心構えを色々と叩き込んで下さいました。

 

辞める理由

 こんな調子で、2018年度は4年目を迎える前に主任もあり得るのではと手前味噌ながら囁かれもした私が何故退職を決めたか。その理由は以下2点に尽きます。

 

1.薄給と先細り

 何よりも先立つ物。前職も「修士卒の専門職」という括りで考えて決して良い収入ではない業界でしたし、更にキャリアチェンジということである程度の減収は覚悟していましたが、それにしても…という額。入職と同時に一人暮らしを始めたので、実家時代の貯蓄と業務スーパーに助けられました。後は楽器関連機材の売却とかもやりつつ。

 弊社は定期昇給制度も存在せず、ヒラで入った人が昇給するのは役職(=主任)が付くまでお預け。一応はあった賞与も名ばかり。明らかに寸志なのですが、呼称は賞与のままでした。若手も私以外は皆実家暮らしか既婚者で、職員の半分は50代で40代の中堅層は0。周りの皆さんは薄給が差し迫った問題という訳ではなかったんですね。将来に向けた貯蓄は不可能な金額だったので、実は1年目の段階から「定年までここにはいないだろうな」と薄々思っていました。

 収益も右肩下がりで、倒産の可能性もちらついたり。語学ということで東京五輪まではともかく、それ以降は不透明。五輪を過ぎれば50代の方々は殆ど”逃げ切り”ができてしまうけれど、若手はそうもいかないなと感じていました。

 

2.上層部がクソ

 そんな不満を持ちながらも、現場のチームには恵まれて日々着実に経験を重ねていった私。転機は2017年3月末でした。ちょうど1年前。なんと、一番世話になった上司が東海地方に飛ばされるとの辞令が。私を拾ってくれたボスも役員という形で閑職に回され、そのボスの椅子にはグループから来たオバチャンが座ることになりました。

このオバチャンが曲者of曲者で、一言で言うなら「The・毒親上司」。そのやり口は管理者ならぬ支配者のそれ。「ちゃんとしろ」「気合を入れて」「英知を結集して」等々の曖昧な指示、自分の中の”正解”しか受け入れる気が無いのに自身の考えを示さず職員が出した意見を否定する、学生や教員の意見を聞く状況をそもそも作ろうとしない、職員の一挙手一投足にやけに口を出す、自分の主張を通す為に断定・針小棒大な物言い・主語のすり替えを多用する、力を示したいのかわざと皆に聞こえるように説教をする…とまぁ、枚挙に暇が無い的なアレで。私はこれらやり口が実家での体験と重なる所があり、「このオバチャンが定年になるまでせいぜい○年だけど、それまでに自分が潰れるぞ」と確信するように。事実、学生や教員、その他業者さんとの関係は険悪になる一方。今まで良い関係を築けていた方々の約半分とお別れすることになりました。

加えて、上層”部”というからにはオバチャン以外にも厄介なのが居た訳で。経営者一家が乗っ取りをかけてきました。この手の語学スクールって、教育とは元々関係無い会社が儲け目的で事業として始める所も結構ありまして、弊社もご多聞に漏れず。年度が替わってからというもの、エンドユーザーたる学生の満足度よりも”数字”を重視する方針に転換。数とは即ち金、数は正義ということですかね。そして、毎日の勤務実態が無いにもかかわらず月給に加え家賃全額(!!)を支給していることもベテラン職員経由で発覚。うーん、これ内部告発案件なのでは。流石に自分達が上げた成果が収入に反映されず偉い人達の家賃に行ってしまうとあっては、働くモチベーションなど持てないもの。オバチャンのこともあったので、転職活動をしようと決めたのが昨年初夏のこと。

 

転職活動

 辞める理由が幾らでも書けるからって長くなりましたm(__)m

 転職サイトの登録を済ませ、8月下旬から活動を開始。「教育系・事務職(営業除)・朝昼勤務・土日休み・正規雇用・4月採用」というワガママ盛り合わせな条件のせいで、求人の少なさという壁にいきなりぶつかる。この条件に合致する所となると大学や独立行政法人が中心になり、それらは積極的に応募していったのですが、応募書類の用意がとにかく手間でした。「Webでポチっとやれば登録情報が先方に行く」なんてシンプルさはこのご時世なのに全く無く、「履歴書・職務経歴書・志望理由書や課題作文、これら全て手書き」がデフォルトの世界。サボって書類を作ろうにも手書きなので迂闊に印刷すらできないとう状況が続きました。

 大学や独法だけではやはり数が少なく、且つ超高倍率。福祉・医療関係企業にも裾野を広げ、10月末~11月頃からはWebエントリーの比重が増えていきました。転職エージェントを利用し始めたのもこの時期。条件に合致する求人が来ることは稀でしたが(教育関係だと塾を筆頭に土日出勤や昼~夜の勤務が多い)、書類や面接の対策としてエージェントとの面談で得るものは多くありました。専門資格のことは隠していましたが、どうしても職歴で年数の短さと大幅なキャリアチェンジが目に付いてしまい。前職から逃げるように事務に行き着いた身としては、ポジティブな理由付けに難儀していたのでエージェントには助けられました。

 12月に入ってからは、毎週少なくとも2件以上選考or応募締切がある状況。4月採用が本格化してきたのか、書類の通過もこの頃には急激に増えました。エージェントからの良い求人紹介も入り、年明けて1月中旬まではバタバタでした。最終的には都内の医療系人材会社・都内の大手専門学校・神奈川の地域密着型な医療系法人の3社から内定を頂きました。勝率としては10%にも満たず芳しくはありませんでしたが、面接で取り繕うこと無く話せた所に落ち着いたという感覚はあります。

 

退職が決まるまで

 内定が決まったらさぁ次は辞意表明だ!と晴れやかに行きたかったのですが、正直これが最終面接よりも消耗しました…。転職と正直に言うとあのオバチャンが激昂するか待遇面で(できもしない約束と共に)懐柔してくるかのどちらかだ…と揉め事になるのが読めていたので、家庭の事情ということにして2月頭に上司に辞意表明。この時点で自身が担当する全業務の引き継ぎ書類も完成させ、オバチャンに二の句は継がせまいと同時に提出。

 これにて一件落着と思いきや、そうは問屋が卸さない。なんとオバチャン、「退職の公表も引き継ぎも3月まではさせない。有給休暇も消化させず3月末まで居て貰う」とぬかす。3月の忙しさを考えると2月ならまだ余裕があるという現場の状況を無視した発言には私も流石に納得できず(有給消化できないよ!!というのが本音だけど)、この時期の業務量と引き継ぎ計画を可視化した「引き継ぎ早期化の嘆願書」を提出。そしてオバチャンの華麗なる手のひら返しを見ることに。引き継ぎも2月から行うことができ、何とか本日の最終日を迎えることができたという訳です。私の後任が同じ課の後輩ではなく別の課のオジサン職員である点だけが気がかり。

 

今後

 4月からは内定先の最後に挙げた法人に入職。医療系とは言っても前職までと分野は被っていないので、試用期間でクビにならないよう勉強しようと思います。神奈川勤務になり都内に出る機会はぐっと減るので、有給消化期間中に何かお誘いがあれば軽率に伺う構え。楽器が置けるとも限らないので、常設吹奏楽団の方はこれまで通り行けなくなる可能性も。音楽環境もこれを機に見直しでしょうか。

 

最後に

 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。今回は運良くタイタニックから降りることができたので、新天地は「これが最後の転職であれ」という思いで臨みます。立派なアドバイスなんぞできない連戦連敗の転職活動でしたが、体験記の一つということでご査収願います。

 また次からは楽器のことを書き散らかす記事に戻るのでご安心(?)を。