金管箱推シノススメ

一発オケ系金管箱推し奏者「海神」です。楽器のことや編曲のこと等つらつらと。

#るーみゅ8th を終えて

お 久 し ぶ り で す ・ ・ ・

 

いや、まさか、前回の更新から1年も空くとは思いませんでした。海神です。

この1年で公私ともに目まぐるしく変化がありました。主に今後のライフプランについては、「どう生き、どう死ぬか」というずっと迷ってきた命題に一つの結論が出た形になります。灰色から虹色に、とでも言いましょうか。その辺、知っている人は知っているというかまぁあからさまにわかると思うので、詳しく聞きたい方は個別にどうぞ。

 

さて、去る2019年6月30日。

ルセッタアミュゼ吹奏楽団 第8回定期演奏会」が雨を吹き飛ばすような熱気の中、終演致しました。この1年の変化の一つとして、新たな楽団への入団がありました。昨年の6月に入団し、9月の合同公演への出演を経て私としては初の単独公演への出演。

にも関わらず、ユーフォニアムだけでなく「色彩」の編曲にも携わらせて頂き、新参者の身に余る光栄でした。*1投げ出すまではしない絶妙に難度の譜面、*2編曲で強いてしまった各所への無茶振り、*3作り込みの細かさに開いた口が塞がらない演出など、色々なことに圧倒された9ヶ月。その分、本番のカタルシスはひとしお。第7回演奏会では客席で振ったサイリウム。その海を舞台から眺める立場になれたことを本当に幸せに思います。関係各位本当にありがとうございました。

 

いわゆるサブカル音楽界隈に入ってからもうすぐ8年になりますが、私がルセッタアミュゼの一員となるまでには様々なご縁と巡り合わせがありました。

現在、団の中枢メンバーである数名と初めてお会いしたのは実は2011年まで遡ります。出会いは当時存在した演奏オフ会「ニコニコオーケストラ」にて。これへの参加を機に各種オフ会や企画楽団に参加するようになり、*42013年のim@s_PB、2014年のNicoNico Prima Popで更に数名との初邂逅。ルセッタアミュゼの存在を知ったのはPBのオフ会(確か下丸子でやった時)でした。そこで、ゲームだけでなくアニソンまで演奏する楽団が常設で存在することに衝撃を受けたのですが、仕事やら所属していた堅気の楽団の都合で入団はおろか客席参加すら叶わぬ日々。しかし、メンバーとの交流はPB、LLwind、ニコオケ等で続いておりました。

そんな中一つの転機となったのが、2017年3月に開催された企画楽団「トゥインクルスターウインドオーケストラ」。参加者の中にはルセッタアミュゼのメンバーも多くおり、打ち上げで夏の演奏会と*5その曲目を知らされた際には「万難を排して聴きに行かねば!!」と思ったものです。同年7月の第7回演奏会を聴きに行き、演奏・演出双方のクオリティの高さに本当に感動し、自分もこの一員になりたいと考えるようになりました。

その後、同年9月の「ニコニコオーケストラ」最終オフでのこと。ユーフォニアムのメンバー補充の可能性がある旨を知らされ、所属していた堅気の楽団の練習参加が仕事等で難しくなりつつあったこともあり、検討を本格化。翌2018年初頭、魅力的な演奏企画が同時に乱立する中、メンバーのお一人の後押しもあり見学を経て入団に至った次第です。

 

長々と昔語りをしてしまいましたが、今まで参加してきたサブカル音楽の集まり、そのどれか一つでも欠けがあったら私は昨日、タワーホール船堀の舞台には立っていなかったと思います。本当に人とのご縁に支えられて音楽ができていることを、ルセッタアミュゼに身を置くようになってから痛感します。

 

改めて、この演奏会に携わって皆様に感謝を。「ルセッタアミュゼのユーフォ吹きでアレンジャー」。団の先輩方に恥じず、その名が似合う人になれるよう、止まらずに精進していきたいと思います。太陽が昇ったかの如き、私のまえに広がったサイリウムの派手な海を目に浮かべつつ。

*1:「大神」の中間部はその最たるもの。

*2:ファゴットのソロ、ばっちりキメて下さり本当にありがとうございました。

*3:演奏会というか、まさにショーでした。野生のプロが多過ぎる…。

*4:初めてお邪魔した時は穴守稲荷の会場でしたね…。

*5:演目の一つは「アイカツ!」だったのですが、それが好きになったのもPBでの出会いがきっかけにあります。某蒲田の楽器店の初売りに寒空の下並びながら楽曲を布教され、見事に沼に沈んだのでした。

3ヶ月 & 2ヶ月

お久し振りです…

記事のネタ自体はあったのですがなんやかんやで2ヶ月過ぎてしまいました…。

 

さてそんな私こと海神、4月に転職した職場で3ヶ月の試用期間をクリア致しました。読者の大半の方にとっては大したことない報告でしょうが、前々職で戦力外通告を受けている身としてはこの3ヶ月間はいつ首を切られるのかとヒヤヒヤでしてね。別に何か重大なやらかしをした訳ではないと自身では思っているのですが、そんな私が気付けない・与り知らぬ所でマイナス評価されている可能性なんて考えたらキリが無い訳で。

まぁこんなのでも一応はクリアしたみたいなので、表面的には置いといて大丈夫な存在と認識されたようです。…手放しで100%喜べるかと言うとそうではない諸々もあるのですが、ここでは割愛。

 

別に新卒や大企業と違って本配属とかそういうのは無いしやることも変わらないのですが、節目ということで。

 

ここ2ヶ月の音楽活動の方は、吹奏楽編曲講習に参加したり、バストロのレッスンを生まれて初めて受講したり、強いビッグバンドを聴きに行ったり、所属オケの今期キックオフがあったり、新たな所属を得たり…とそれなりに盛りだくさん。新しい所の練習に向かう道中でこの記事も書いています。これについてはまぁ追い追い。

 

贔屓の政治活動家の引退という衝撃ニュースから幕を開けた7月も、嬉しいことに土日は大体埋まっているので楽しみです。試用期間を終えて、ほんの僅かの増収ですがそれが活動の励みになります。

 

楽器紹介 YAMAHA YBB-103

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2014年3月、「Tuba88」様にて購入。

ヤマハが40〜45年程前に出していた3/4サイズのフロントピストンBbテューバ。中学校の備品だったという方も多いのではないでしょうか。現在の621シリーズの基になったと言われています。

 

その小振りさ故に吹き易く小回りの利く楽器。テューバは専門外の私ですが、フルサイズよりはマシなコントロールができます。今まではアンサンブルや吹奏楽での本番経験があり、div.の上パート辺りで良い味を出してくれます。ビッグバンドやる機会があれば使ってあげたい。NNSB海外公演の、国内リハでのお供もこの楽器。

 

実は本日もこの楽器で本番でした。「東京ゲームタクト2018」の吹奏楽公演「吹奏楽で響かせるバトルBGM史」の第3部、ブリッツフィルハーモニックウィンズ様と公募有志の合同ステージにて演奏しました。

共演したプロお二方より低音域のアプローチや楽器とマウスピースの相性について貴重なアドバイスを頂き、今とてもテューバ熱が上がっております。この先本番の予定がないので、オフ会なりスタジオ・カラオケでの個人練なりで機会を作って吹いていきたさいっぱいです。

 

マウスピースはヤマハのROGER BOBO SOLOを使用…しておりましたが、上述のアドバイスを受け、共演者の使用マウスピースを楽屋で取引。同じくヤマハのROGER BOBO SYMPHONICを使っていくことにしました。

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そんなこともあり、やっぱり吹く機会欲しい。久し振りのテューバ、楽しかったなぁ。

 

「はやみん合唱団 織声」さん演奏会「空の移ろい」鑑賞してきました。

転職して2週間。まだ知恵熱は出ていない海神です。

さて本日の日中は吹奏楽ダブルヘッダー。朝は矢向・昼は築地で練習だったので、夜はその足で豊洲へ。「はやみん合唱団 織声」さんの演奏会を聴きに…もとい鑑賞しに行ってきました。

origoe.org

 

織声(@HayaminChorus)さんは昨今急増中のサブカル音楽団体の一つで、声優・歌手の早見沙織さんの楽曲を歌う合唱団です。元々声優としての活動は知っていたのですが、ご本人名義の楽曲を聴いたらそれはもう名曲揃いで…。すっかり魅せられてしまい今日を迎えた、という訳です。

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さて本題の演奏会は「聴く」だけにあらず。

時間と場所を完全に味方に付けた、至高の舞台芸術がそこにはありました。

 

まず、会場の豊洲シビックセンターホールは豊洲文化センター5階にあるホール。定員300名と合唱や室内楽に向いていると思われるホールですが、最大の特徴は前面と右面の壁が動いて客席からレインボーブリッジが一望できること。そして開演は19:30と。お分かり頂けただろうか…お台場の夜景と共に味わう演奏会だったということが…。

 

M1「やさしい希望」で開幕してすぐは窓が壁に閉ざされていて、よくあるホールの佇まい。変化があったのはM4「おやすみ」の最後。「夜は更けていきます」の歌詞と共に開かれる壁と、眼前に広がる夜景。それを見た瞬間、これはとてつもないオンリーワンの演奏会に来てしまった…と確信。

 

その後は伴奏付きの合唱に限らず、朗読やアカペラも織り交ぜ展開されていくお堅さの無いふり~すたいる♪なステージ。M13「ユニバース」では、演者の皆さんが巡礼者のキャンドルを模したと思しきブルーのライトを持って入場。そのままナレーターが語ったのは「日の出前に発生する、空が濃い青色に染まる時間帯」…そう、ブルーアワー。M14「ブルーアワーに祈りを」は個人的に早見さん楽曲の中でも特に好きで、暗いホールに灯るライトと夜景の光という幻想的な光景も相俟って、ついつい感極まってしまいました。最後は「To years letter」で会場が一体となって締め括り。「演奏会」を「聴く」だけでない、一つのショーのようなステージでした。

 

今回演奏された早見さんの楽曲は、アルバム「Live Love Laugh」に収録されているから、みんな買おうな!

「Live Love Laugh」<CD+Blu-ray盤>

「Live Love Laugh」<CD+Blu-ray盤>

 

 

余談ですが、その性質上サブカル楽団につきものなのが、演目の「作品・アーティスト縛り」。ですが、織声さんはそれを見事に裏切った選曲をしてきました。キメの部分は勿論早見さんの楽曲ですが、その他はJ-POPありアニソンありアカペラエチュードありと様々(まさかfhana曲まであるとは…)。

 

鉄道の旅と車窓から見る「空の移ろい」。そのコンセプトを突き詰めた結果とは思いますが、この手の団体としては珍しく且つ英断だったと感じました。…私が寝台列車に乗ったのは、確実に20年以上前。夜通し車窓を眺める贅沢な旅でもしてみたくなる、そんな素晴らしいショーでした。今日は曇天だったけれど、明日の空は如何に。

(早くも次回が楽しみだけど、これ他団体も含めハードル上がるぞ…?)

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最後に合唱で本番に乗ったのは2015年12月。随分とご無沙汰してしまっている。

新天地を前に

解放感に満ちた有給消化期間もあっという間に最終日となり、新天地には不安>期待な海神です。

 

残念なことにこの間は体調が思わしくなく、旅行と言えるような遠出はできず。幼い頃にも患っていた循環器系なので、無茶せずぼちぼち外来加療。今のところ薬の効きは良さそうです。

永らく行けなかった歯医者にも行けたので、完全にヘルスケア週間となってしまいました。新天地では当分休めないからね、仕方ないね。

 

さて今日は、「ピコジャズ」様主催のセッションに参加をしてきました。

ピコピコジャズセ#10 - TwiPla

こちらは「日本一敷居の低いセッション」のコンセプトでジャズとゲーム音楽のセッションを行っている会。初心者向けの座学タイムもあるということで飛び込んで参りました。

今まで詳しく知らなかった「ジャズ、ジャズセッションとは」というそもそも論のお話は、ザ・ド素人の私が求めていた内容で満足。セッション2回目の段階で知れて良かった。ソロはもっと低域を使ってあげた方がいいかもなぁ。

 

来週はまた別でジャズ講座やビッグバンド見学もあるし、歩みは遅くとも少しずつチャレンジです。

 明日はいよいよ新天地初日。職場は家から近くなるけれど、始業時間が早いので今までより早起きの必要が…。まずは試用期間を乗り切りたい。労働時間自体は増えるからね。

 

ジャズを始めるということ

有給消化期間に入りましたが雨と寒さで少しブルーな海神です。

さて、この前の日曜日に私は初めてのジャズセッションというものに参加をさせて頂きました。友人よりtwitter経由でご案内頂いたこちらの会。

twipla.jp

 

初心者向けとあるのをいいことに、今まで吹奏楽とオーケストラでしか演奏経験の無い私でも…と参加した次第。今回の参加者の中にも、私と同じように初セッションという方が数名おられて親近感。

しかし実際セッションが始まると、初心者のはずの方も皆サラリとアドリブを吹かれていて驚き。私は本当に生まれて初めてのアドリブだったので、緊張してしまい思ったようには吹けず…。途中心折れかけながらも、運営の皆様や経験者の方に助けられ、最後には気持ち良く終えることができました。

 

しかし、初めてセッションの場に飛び込んでみて感じたのは、いわゆる「吹奏楽上がり」にとってのジャズの敷居の高さでした。(この言葉にも賛否あるでしょうが、吹奏楽で楽器を始めて以降ジャズを演奏した経験が無い人という意味合いで使っていきます)

まず私は、中学で吹奏楽・大学でオーケストラを始めて以降ずっとその手の団体でのみ演奏を続けてきた、典型的な「吹奏楽上がり」の人間です。ここ2~3年でジャズやボサノヴァへの興味が強くなってきましたが、基本的には聞き専。学内の音楽団体(ビッグバンドやジャズ研等)でジャズを経験せずに来てしまった…多分、同じような境遇の方って結構おられるのではないでしょうか。今回はそんな私の視点から、「吹奏楽上がり」がジャズに触れて感じたことを書き綴ってみようと思います。

 

1.ジャズのお作法

アドリブよりもまず初心者として知りたいのがこれ。ジャズのメジャーナンバーや奏法、コードやスケール等の用語、セッションのルール等々…。ジャズ界では自明のことでも、そうでない人には全く未知の世界だったりします(これはオケをやっている私自身とそうでない人との関係でも言えること)。出典に諸説ある「型があるから型破り・型がなければ形無し」という言葉もありますが、新しい世界に飛び込むに当たり基本の型は身につけておきたいものですし、続けていく上ではそれが大事だなと感じます。

セッションのルールは今回主催さんからご説明頂きましたが、その場その場での判断が求められるのは「目の前に置かれた譜面をその流れ通りに演奏する予定調和」に慣れてしまっている身としては新鮮そのもの。メジャーナンバーはこの日の為に注文した"黒本"こと「ジャズ・スタンダード・バイブル」で勉強していきます。

 

奏法は自分で実際にやりながら覚えていくしか無い所はありますが、クラシカルな奏法とは分けて語られることの多いポピュラー奏法。教えを請いたい所ではあり。

そして一番の壁と感じたのが用語。私の楽典の知識、高校の音楽の授業で止まってしまっているので…。「一応授業で触れた」という範囲だと、いわゆる"黄色い楽典"の5章前半位まででしょうか。TLで有識者の方々がよく話しておられる旋法やコード進行についてはさっぱり。こればかりはそもそもの知識が無いと始まらない所がかなりありそうなので、要勉強です。

楽典―理論と実習

楽典―理論と実習

 

 ↑が終わったら、この辺の理論書にも挑戦したい。

マークレヴィン ザ・ジャズ・セオリー

マークレヴィン ザ・ジャズ・セオリー

 

 

2.演奏技術

吹奏楽やオケでも技術が求められるのは同じことですが、ジャズはその色が特に強いと感じました。その理由は何と言ってもアドリブ。「即座に、且つ自分が思った通りに楽器をコントロールすること」に於いては、今までより一段上を要求されていると思います。アドリブこそ、習うより慣れよの世界という印象が強い。しかし、吹いて経験を積みたいけれどもド素人故に自信が無いというジレンマを抱え中の私。幸い、初心者向けのセッション開催情報をご案内頂いたので、来週はそちらに参加する予定。純粋に技術という面では、普段の活動フィールドでも磨くチャンスは幾らでもあるので無限に練習していきたい構え。

 ↓慣れてきたらこの辺も見ていきたい。

Patterns for Improvisation

Patterns for Improvisation

 
Charlie Parker Omnibook: For C Instruments. (Treble Clef Version)

Charlie Parker Omnibook: For C Instruments. (Treble Clef Version)

 

  

3.ジャズを続ける

私の中では今回のセッションで、今年の目標でもあった「20代の内にジャズを始める」こと自体はできたのですが、実際はこれで目標達成とは思っていません。まだ一度やったに過ぎない訳で、セッションへの定期参加なりビッグバンドへの所属なり、「続ける」ことができて初めて目標達成だと考えています。

アニメ「アイカツ!」125話で「あたし達の今の大きな夢ってのは、ソレイユ(劇中で主人公達が結成したアイドルユニット)を続けることだ」という名言があります。何事もまず始めるだけなら(人によりますが)楽かも知れません。しかし、一度始めたことをずっと続けていくのはもっともっと大変です。私は今、吹奏楽とオケで4~6年ほど常設団体への所属がありますが、これも「入れる団体があった」「学校や職場といった環境が変わってもスケジュールが合い続ける」、そして何より「そこで演る音楽が好きでい続けられた」という奇跡が重なった故のこと。ジャズ方面でもそういったイベントや団体に巡り合いたいと思います。

 

余談ですが、吹奏楽・オケ方面に長く身を置いていると、同じ系統の団体の情報はたくさん入ってくるのですが、別ジャンルの団体情報って思っている以上に入って来なかったり。「(地域名) ビッグバンド」とかで検索してもホームページが古くて更新が止まっていることが多く。文化の違いなのでしょうか…検証班求ム。

 

 

…と言った具合のことをセッション後の夜にtwitterで呟いていると、主にNNSBでご一緒した有識者の方々からアドバイスや励ましのお言葉を頂戴しまして。何やらレクチャー開催の噂も。教えて下さる方が身近におられるのはとてもありがたいですし、もし自分がオケ未経験の友人から「オケ始めてみたいんだけど実際どうなの?」という旨の相談を受けた際も、同じように暖かく迎え入れることができればと思います。ジャンルが違っても同じ音楽をやっている者同士、排斥し合うのって凄く勿体無いと思うんですよね。せっかく自発的に興味を持てたことなので、挫折せず長く続けていきたいなと思います。

(超初心者向け、「入門一歩手前」的なレクチャー、需要ありますってきっと)

 

「一度きりの人生 楽しむべきだよね絶対」

愛媛が生んだアニソン女王・水樹奈々さんの楽曲「NEW SENSATION」の一節を最後に添えて。

ご報告

私こと海神は2018年3月末日付で、キャリアチェンジから2年10ヶ月お世話になった某語学スクールを退職しました。Twitterの方では何度となく諸々垂れ流しておりましたが、改めて正式報告ということで。今日に至るまでの諸々をまとめてみましたので、興味のある方だけどうぞご覧下さい。

 

私の経歴~前職からキャリアチェンジまで~

 修士課程修了後、デイケア福祉施設でカウンセリングとかケースワークとかの仕事をしてきました。名前に心が付く感じの某専門職でしたが、下記の理由から専門職としての伸び代に限界を感じキャリアチェンジをしました。

 まず、支援計画が立てられない。当座の対応や利用者さんとの関係形成こそやれますが、長期的に見て最良の状態をイメージできず、場当たり的な対応に終始してしまった所がありました。次に、目の前に与えられた情報だけに注目してしまい、それ以外の可能性に気付いたり疑問を持ったりできない。例えば面接でも、利用者さんが口に出して言った言葉aに対して質問a’は返せるのですが、その他に別アングルからの質問bやcを投げ掛けることはできないといった具合。話は広がっていかないし本来必要な情報は取れないしで、自身のことながらこの特性では苦労しました。対人支援職としての能力に欠けることは周知の事実だったのですが、それでもなお、そのことが悟られるのを恐れて報連相が遅れることも多かったから手に負えない。

 今思えば、元々が勉強嫌いな時点で「一生勉強」で資格も更新制の対人支援業界で仕事が長続きする訳も無く(勉強嫌いが何で修士まで出ているんだって話ですが、実家との関係でアレソレあり勉強がサバイブの手段だった、とだけ言っておきます)。前職は事実上の戦力外通告を受けて逃げるように退職したのですが、それで正解だったのかも知れません。資格も「失効」となるのは後味が悪いので、近々「返納」するつもりです。そんなこんなで新しく事務職としての仕事を探し、当時のスクール長ことボスに拾って貰い現職に至ります。

 

現職でのお仕事

 事務員として、スクール内の運営を担う部署での採用でした。語学とありますが、昨今偽装や出稼ぎといった良くはない形で話題になっているあの分野です。名簿や成績の管理、納入金の請求、課外活動等イベント運営、カリキュラムの策定…まぁよろず請負のようなものでしたね。全部で10人ちょっとの現場というのもあり、2年目に入った位の段階でイベントのリーダーや各種不合理な制度の改善、業務手順書の作成、グループ全体での事業計画プロジェクトへの最年少での参画等、色々と主要ポジションとしての動きをさせて貰いました。当時の上司はじめ、現場のチームや教員の方々には恵まれたなと思います。事務としてのノウハウだけではなく、組織で働く上での心構えを色々と叩き込んで下さいました。

 

辞める理由

 こんな調子で、2018年度は4年目を迎える前に主任もあり得るのではと手前味噌ながら囁かれもした私が何故退職を決めたか。その理由は以下2点に尽きます。

 

1.薄給と先細り

 何よりも先立つ物。前職も「修士卒の専門職」という括りで考えて決して良い収入ではない業界でしたし、更にキャリアチェンジということである程度の減収は覚悟していましたが、それにしても…という額。入職と同時に一人暮らしを始めたので、実家時代の貯蓄と業務スーパーに助けられました。後は楽器関連機材の売却とかもやりつつ。

 弊社は定期昇給制度も存在せず、ヒラで入った人が昇給するのは役職(=主任)が付くまでお預け。一応はあった賞与も名ばかり。明らかに寸志なのですが、呼称は賞与のままでした。若手も私以外は皆実家暮らしか既婚者で、職員の半分は50代で40代の中堅層は0。周りの皆さんは薄給が差し迫った問題という訳ではなかったんですね。将来に向けた貯蓄は不可能な金額だったので、実は1年目の段階から「定年までここにはいないだろうな」と薄々思っていました。

 収益も右肩下がりで、倒産の可能性もちらついたり。語学ということで東京五輪まではともかく、それ以降は不透明。五輪を過ぎれば50代の方々は殆ど”逃げ切り”ができてしまうけれど、若手はそうもいかないなと感じていました。

 

2.上層部がクソ

 そんな不満を持ちながらも、現場のチームには恵まれて日々着実に経験を重ねていった私。転機は2017年3月末でした。ちょうど1年前。なんと、一番世話になった上司が東海地方に飛ばされるとの辞令が。私を拾ってくれたボスも役員という形で閑職に回され、そのボスの椅子にはグループから来たオバチャンが座ることになりました。

このオバチャンが曲者of曲者で、一言で言うなら「The・毒親上司」。そのやり口は管理者ならぬ支配者のそれ。「ちゃんとしろ」「気合を入れて」「英知を結集して」等々の曖昧な指示、自分の中の”正解”しか受け入れる気が無いのに自身の考えを示さず職員が出した意見を否定する、学生や教員の意見を聞く状況をそもそも作ろうとしない、職員の一挙手一投足にやけに口を出す、自分の主張を通す為に断定・針小棒大な物言い・主語のすり替えを多用する、力を示したいのかわざと皆に聞こえるように説教をする…とまぁ、枚挙に暇が無い的なアレで。私はこれらやり口が実家での体験と重なる所があり、「このオバチャンが定年になるまでせいぜい○年だけど、それまでに自分が潰れるぞ」と確信するように。事実、学生や教員、その他業者さんとの関係は険悪になる一方。今まで良い関係を築けていた方々の約半分とお別れすることになりました。

加えて、上層”部”というからにはオバチャン以外にも厄介なのが居た訳で。経営者一家が乗っ取りをかけてきました。この手の語学スクールって、教育とは元々関係無い会社が儲け目的で事業として始める所も結構ありまして、弊社もご多聞に漏れず。年度が替わってからというもの、エンドユーザーたる学生の満足度よりも”数字”を重視する方針に転換。数とは即ち金、数は正義ということですかね。そして、毎日の勤務実態が無いにもかかわらず月給に加え家賃全額(!!)を支給していることもベテラン職員経由で発覚。うーん、これ内部告発案件なのでは。流石に自分達が上げた成果が収入に反映されず偉い人達の家賃に行ってしまうとあっては、働くモチベーションなど持てないもの。オバチャンのこともあったので、転職活動をしようと決めたのが昨年初夏のこと。

 

転職活動

 辞める理由が幾らでも書けるからって長くなりましたm(__)m

 転職サイトの登録を済ませ、8月下旬から活動を開始。「教育系・事務職(営業除)・朝昼勤務・土日休み・正規雇用・4月採用」というワガママ盛り合わせな条件のせいで、求人の少なさという壁にいきなりぶつかる。この条件に合致する所となると大学や独立行政法人が中心になり、それらは積極的に応募していったのですが、応募書類の用意がとにかく手間でした。「Webでポチっとやれば登録情報が先方に行く」なんてシンプルさはこのご時世なのに全く無く、「履歴書・職務経歴書・志望理由書や課題作文、これら全て手書き」がデフォルトの世界。サボって書類を作ろうにも手書きなので迂闊に印刷すらできないとう状況が続きました。

 大学や独法だけではやはり数が少なく、且つ超高倍率。福祉・医療関係企業にも裾野を広げ、10月末~11月頃からはWebエントリーの比重が増えていきました。転職エージェントを利用し始めたのもこの時期。条件に合致する求人が来ることは稀でしたが(教育関係だと塾を筆頭に土日出勤や昼~夜の勤務が多い)、書類や面接の対策としてエージェントとの面談で得るものは多くありました。専門資格のことは隠していましたが、どうしても職歴で年数の短さと大幅なキャリアチェンジが目に付いてしまい。前職から逃げるように事務に行き着いた身としては、ポジティブな理由付けに難儀していたのでエージェントには助けられました。

 12月に入ってからは、毎週少なくとも2件以上選考or応募締切がある状況。4月採用が本格化してきたのか、書類の通過もこの頃には急激に増えました。エージェントからの良い求人紹介も入り、年明けて1月中旬まではバタバタでした。最終的には都内の医療系人材会社・都内の大手専門学校・神奈川の地域密着型な医療系法人の3社から内定を頂きました。勝率としては10%にも満たず芳しくはありませんでしたが、面接で取り繕うこと無く話せた所に落ち着いたという感覚はあります。

 

退職が決まるまで

 内定が決まったらさぁ次は辞意表明だ!と晴れやかに行きたかったのですが、正直これが最終面接よりも消耗しました…。転職と正直に言うとあのオバチャンが激昂するか待遇面で(できもしない約束と共に)懐柔してくるかのどちらかだ…と揉め事になるのが読めていたので、家庭の事情ということにして2月頭に上司に辞意表明。この時点で自身が担当する全業務の引き継ぎ書類も完成させ、オバチャンに二の句は継がせまいと同時に提出。

 これにて一件落着と思いきや、そうは問屋が卸さない。なんとオバチャン、「退職の公表も引き継ぎも3月まではさせない。有給休暇も消化させず3月末まで居て貰う」とぬかす。3月の忙しさを考えると2月ならまだ余裕があるという現場の状況を無視した発言には私も流石に納得できず(有給消化できないよ!!というのが本音だけど)、この時期の業務量と引き継ぎ計画を可視化した「引き継ぎ早期化の嘆願書」を提出。そしてオバチャンの華麗なる手のひら返しを見ることに。引き継ぎも2月から行うことができ、何とか本日の最終日を迎えることができたという訳です。私の後任が同じ課の後輩ではなく別の課のオジサン職員である点だけが気がかり。

 

今後

 4月からは内定先の最後に挙げた法人に入職。医療系とは言っても前職までと分野は被っていないので、試用期間でクビにならないよう勉強しようと思います。神奈川勤務になり都内に出る機会はぐっと減るので、有給消化期間中に何かお誘いがあれば軽率に伺う構え。楽器が置けるとも限らないので、常設吹奏楽団の方はこれまで通り行けなくなる可能性も。音楽環境もこれを機に見直しでしょうか。

 

最後に

 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。今回は運良くタイタニックから降りることができたので、新天地は「これが最後の転職であれ」という思いで臨みます。立派なアドバイスなんぞできない連戦連敗の転職活動でしたが、体験記の一つということでご査収願います。

 また次からは楽器のことを書き散らかす記事に戻るのでご安心(?)を。